2016年2月19日金曜日

ライブの感想とそれに伴って生まれてきた言葉たち@扇町para-dice

こんにちは、センテンスのギターのまさとしです。

昨日の扇町para-diceでのライブの感想と、思ったことを書きます。



いつも、この看板に愛を感じます。ありがたいです。




以下、感想。

僕たちセンテンスの出番は1番目。

正直、かなり気を込めていました。良くも悪くも、気を張っていました。
終わってから、胸が固くなっているのが分かりました。
呼吸が浅くなっていたんだと思います。

僕個人の思いは後で書きます。

先に、対バンについて書きます。(敬称略とさせていただきます)



2番目はyumeno shiwaza

札幌から遠征とのこと。
サポートギタリストを伴っての2人構成。

PCから打ち込みのリズムトラックやストリングスなどが流れる中、二人の何となくの会話やアイコンタクトと曲がシームレスに繋がれているところが印象的だった。

それは意識的なのかどうか、僕には分からないが、過剰に作られた世界観の押し付けではなく、多分この2人の関係性がそのまま「見えている」(「見せられている」のではなくて)感じがして、心地よかった。

札幌の音楽シーンのことをもっと聞きたかったな。
後で年齢を知ったら僕より10歳以上若くて驚いた。確かに見たらすぐわかることなのだが、自分が歳を取っていることを忘れてしまうのは幸せなことなんだろうな。僕は幸せなんだと思います。



3番目は野田奈津実。(HP見つけられず)

ベース音を担当する(と思われる)鍵盤を足で演奏しつつメインメロディーを手で弾くという複雑なエレピのような楽器を使って歌を歌っていた。

楽器に録音されているリズムトラックを流した瞬間に心地よさそうに身体を揺らしていたのが印象的だった。

サックスやギターのような音を、微妙なニュアンス(「バブィッ」とか「トゥルイ~ン」とか)を鍵盤で弾いている人を見ると、いつも複雑な気持ちになる。

どこまでが楽器でどこまでが音楽なのかよくわからなくなる感覚。

僕は打ち込みや機械が奏でる音楽に対して、多分どこかで偏見がある。
エイフェックスツインはそこそこ好きやし、打ち込みを取り入れたバンドとかも聞くけど、自分がそういう音楽が出来ると思えない。

結局は身体を、指を動かして音を鳴らすという点では同じなのに、決定的な違いがある気がする。

ギターも、エレキギターを使っている時点で、電気やマイクやアンプのシステムの力を借りているから、自分が音を鳴らすプロセスに含まれている人力/機械の比率が違うだけの話なんだと思うんだけども。

ただ、僕がギターを弾く理由の大きなものの一つは、「張り詰めた弦を抑えたり弾いたり引っ掻いたりするときの抵抗感が楽しいから」なので、そこを感じられないと手を出さない、ということは言えると思います。

そんなことを、昨日の野田さんの楽しそうな様子を思い出しながら、今、考えています。



4番目はGiftnest

曲がよく練られているなぁと思った。そしてすごく練習していると思った。

あと、個人的にはドラムのkozue.さんの眼が印象的だった。
曲の中で必要な音を逃さず自分が叩く、ということについて真剣な感じを受けた。

他の出演者の舞台も、できるだけ前に座って食い入るように見ていたのも印象的だった。


トリはきみのいないたまご

舞台上での3人の関係性が自然に感じられた。
曲終わりに「ありがとうございます」と言うタイミングや最後のお辞儀の仕方など、とても配慮されている部分もありつつ、根本的に3人が自分たちの曲が好きで、曲の中で自由に踊っているというか泳いでいるというか、そんな雰囲気が伝わってきて、自然と身体が揺れる瞬間があった。

自分の話になるが、センテンスにとって、僕が今最も欲しいモノのひとつが「ノリ」だ。

自分たちも、聴いてくれる人たちも、心と身体が揺れる波を鳴らすことに興味がある。
まだ難しい。

そのことについて、このあと書いてみたい。

脱線した。
きみのいないたまごの3人は曲にとって必要十分な演奏をしている、しかも自分事として。
これはとても参考になった。


以上、対バンの感想でした。





ライブ後、para-diceのスタッフであるアサヤケさんとシムラさんに色々と話を聞いてもらった。

その後、車を運転し、帰宅し、寝、起床し、食事し、仕事しながら、ずっと考えていました。

ここ数日ずっと考えていました。

センテンスで何ができるのか、センテンスは何ができるのか。

車の中でandymoriのCDをかけていて、『君はダイヤモンドの輝き』が流れてきたとき、はたと気付きました。

僕は自分であろうとして、自分のギターを弾こうとして、自分自身が「自分であろうとしている自分」に支配されていました。

何回も通ってきたはずやのになー。
おんなじことしてた。

バンドの音が人の心と身体を動かすとき、何が起こっているのか。

恐れ多くも僕はそれに対するひとつの答えを示したくて、自然とその答えから離れていたのかもしれないです。

ノリを生み出す演奏ってどういうことなのか考えて、考えて、考えて、考えている間、僕の身体はノっていたのか?

その時、身体は固まっていた。

思考すること自体は大事なことだと思っていて、僕は思考・言葉というものが好きです。

僕は言葉で思考し、言葉の連なりである文(=センテンス)によって生きているから。

ただ、言葉というのは、本来は頭だけじゃなくて、身体にも働きかけるものだと思うんです。
根拠はわからないけど、そうであるに違いないという「気持ち」が僕にはある。

最後は身体なのであって、そこに行き着くまでに言葉を簡単に放棄してはいけない、という、妄信的な思いが僕には、なぜかあります。

なんかまた脱線しそうなんでちょっと意識的に戻します。

僕はセンテンスの中で一番バンド歴が長いから、どこかで「自分が培ってきたものを使いつつ、それを一旦封印して新しく生まれ変わらないといけない」という思いを強く持っていたようです。

思えば僕は定期的に自分の音楽的趣向を否定しつつ生きてきた気がします。

福山雅治になりたくてアコギを買ったのになれなくて、B'zに憧れてエレキギターを始めたのにコピーできなくて、ビートルズに、エアロスミスに、ガンズに、ハノイロックスに、ジミヘンに、レイボーンに、グラント・グリーンに、ジャンゴに、ストーンローゼズに、スポーツギターに、ジャック・ジョンソンに、ホワイトストライプスに憧れては憧れている自分を否定して、を繰り返してきた。

普段何気なくギターを手にして弾くフレーズをセンテンスで封印するのはなぜなのか。

今朝、夢でpara-diceの知らないスタッフの人に「逃げているのはお前やで」と言われて目が覚めた。

自分が身体にまとう言葉の連なりから逃げない、ということを自分に課しているつもりで、戦っているつもりで、そのことにかまけて置き去りにしているもの、つまり逃げてきたものがありました。

それが僕の身体に染み付いたリズムやフレーズなんだとしたら、それを舞台の上で成仏させてやらなくて誰がやるのか、という話になる。

それがセンテンスというバンドが良くなっていくことと同じであることだと信じることにしました。

昨日のライブは、大きかった。

来てくださった方々、対バンの方々、para-diceの方々、ありがとうございました。
光栄です。

今月最後のライブは、


2月23日(火)

@nano(京都・二条)

open18:30 / start19:00
adv 1,500yen+1drink/ door 1,800yen+1drink
w/まち中の蛙/ ミノウラヒロキ/ 無線

です。

チケットお取り置き・お問い合わせは
sentence.info*gmail.com(*を@にしてください)
までお願いします。

お越しください。
宜しくお願い致します。

<音源発売中!>
「スター」
1 スター
2 夕焼け小僧
3 白川
3曲入り500円。ライブ会場などで販売しております。

<動画公開中!>
2016年1発目、para-diceでのライブ1月7日)から「なんでもない歌」の動画を公開しました。再生回数が100回を超えていました!ありがとうございます!!