こんばんは、ギターのまさとしです。
お久しぶりです。
センテンス、活動してます。
ブログを書けずにいました。
8月4日、難波ベアーズ初出演でした。
思ったことを対バンの人たちについて触れつつ、書きたく思います。
1番目はNo.305。
彼とは何げに3回目の共演。縁を感じます。
あとで触れるけど、僕は昔肩こりというパンクバンドに所属していて、その時を含めるともっと共演しています。
彼は肩こりのことが好きでいてくれて、今でもたまにその話をします。
彼のパフォーマンスはいつも全力で動き、あらかじめ用意した音源に合わせて歌うというもの。
作り物のギターを使う様子や破れたTシャツを纏うところに、彼が大切にしているものが何なのか、少しずつですが理解できているんじゃないか、という気がしてきています。
「ポンバシスカム」というジャンルなのだそうです。
スカムというものも、ニューウェイヴというものも皆目わからない僕ですが、彼と楽屋で何度か話をする中で、自分の感覚を使ってさらけ出そうとしているものが確かにあって、それが僕たちセンテンスのやっている音楽の形態とは違うけれども、そこで繋がれているというか、そこが縁(ゆかり)のようなものなんじゃないかと思っています。
3番目は野中比喩。
ノイズと歌をやっていた。
これまたノイズというものも僕はよくわかっていない。
その昔、肩こりをやめてから音楽のルールみたいなものを一回自分の中で解体したくて舞踏の人やコンテンポラリーダンスの人、ノイズの人と舞台に上がってギターを弾く活動をしていた。
その中で、リズムやキーの概念から自由になってギターを弾きまくるということをしてみたが、結局自由に縛られて自由でいなくてはいけないという思いにやられてしんどくなってやめた。
それは宇宙に出ると人間は身体が融解してしまうような感じで、ルールや規則のない世界では音楽を・ギターを弾くことを底から楽しむことができない人間なんだということを思い知る経験やった。
だから、未だにノイズというものをやっている人を見ると、一体どういうメカニズムでそれをやっているのかに興味を持つ僕がいる。
4番目は丸木ハマ子。
鍵盤を弾きながら歌うスタイル。
MCはなく、30分間弾き、歌い続けていた。
話すことと歌うことの境目が明確ではないような、メロディーやリズムが身体から都度出てきて決まるような、そういう感じだった。
思ったこと総括。
総括とか言ってみたが、総括と言いたかったらしい。
今回思ったのは、芸術、というと大げさなら表現、でもいいんやけど、そういうものにはなにがしかの「コーティング」というものが必要なのかなぁということ。
人がお金を出して舞台を見に来るということは、そこに何か「未だ見ぬもの」「自分にはないもの」を体験しに来てるということだと思う。
もっと言えば、人がお金を払うのはそれが自分の周辺にないもので欲しいものだからだ。
僕は表現というのは根っこの部分は人に由来していて欲しいと思っている。
その人やから出来ること、その人がやるから意味があること、であって欲しいと思っている。
しかし、一方で昔誰かが言っていた「芸術はむき出しであるだけでは芸術ではない」(言い方は多分全然違う)という言葉もずっと気になっていた。
今回のライブでは、そのことをより強く意識させられた。
今回共演した3人は、僕にとっては全員「むき出しであるだけ」ではなかったように思う。
誤解を恐れず言うと、「金になる」要素がコーティングされたパフォーマンスだったと思う。
センテンスは、これからこのコーティングを僕たちのやり方で手に入れていく段階に来ていると思う。
どうしていけばいいのかは、朧げながら見えています。
ここには書きませんが。
おやすみなさい。
見に来てくださったお客さん、共演者の皆さん、ベアーズの黒瀬さん、スタッフの皆さん、ありがとうございました。
✩センテンスのライブ映像をアップしました!
よろしければご覧ください。
よろしければご覧ください。
「旅」 作詞/作曲:まゆ 編曲:まゆ・まさとし
https://www.youtube.com/watch?v=kE-tKOvbt0E
https://www.youtube.com/watch?v=kE-tKOvbt0E