僕にとって、舞台の構造やお客さんとの対話など、自分がどういうものに興味関心を持っているのかがはっきりしたライブだった。
僕は演者とお客さんとの関係を明確に区切る「作法」のようなものを重視しているらしい。
そしてそれは形だけの行動だとさみしいのだけれども、たとえ形だけでも示されないとさらにさみしいものらしい。
でも、本当のところはそれが形にして示されるかどうかではなく、目に見えないところで起こっているらしいことも分かってきた。
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自分をエンパワメントさせる行動を取り続けることって、なんで難しいのか。
エンパワメントさせる行動をとること自体が自分をエンパワメントさせるものになることが難しいのかもしれない。
好きでやっていることでも、それに付随する要素のおかげですり減ってしまい、やめてしまうことがままある。
好きなことをやり続けることは、自分に対しての責任であったり対決であったり愛であったりする。
ただ好きなことをやり続けること。
このことを可能にするための工夫や知的活動、肉体活動を、僕は学生時代好きでもない学校という場所でいかに身に付けるか、ということに失敗したのか、それとも成功したのだろうか。
どちらでもある気がする。
いつ死んでも悔いがないように、とはよく言われるが、生への執着からしかそれは生まれないように、しんどさや違和感に対する敏感さからしかそこに行き着けないと思う。
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拍手、という作法がある。
僕は拍手が欲しくて音楽をやっているわけではないけれども、拍手がもらえないとさみしいということに、気づいた。
舞台で何かをやったあと、拍手という目に見える形によって伝わって来るものがあって、僕はそれに支えられて舞台に立っていたようだ。
一方で、社交辞令としての拍手というものがあって、それは作法でもあるのだけれど、ほとんど義務のようなもので、している方にもされた方にも虚しさがある。
それでもその虚しさの中に、「しかし目の前に人がいる」という現実に支えられはする。
僕はセンテンスをやることによって、STAGEを作ることによって、カオカキをやることによって、広義の「対話」をやっていて、そのことに喜びを感じているらしい。
それが僕にとってのエンパワメントであって、そういう環境に自分を置き続けることにしか自分を気伸びさせる方法がないということがわかった。
僕はサラリーマンをしていたとき、人と人として向き合って言葉を交わし合うことができる業務から、ほとんどPCに向かってスケジュール管理をしたり数字と向き合ったりする業務に変わったとたんにおかしくなり、組織からずり落ちて辞めてしまった。
僕にとっての対話を、新しい部署ではすることが僕にはできなかった。
来年は、舞台の上でどうやってお客さんと、mauと、自分と対話し続けることが出来るかを重視したいと思う。
そして、センテンスとしてどういう場にどんな風にどんな音を届けたいかをもっと考えようと思った。
握手は、相手に向かって、どのように、どんな強さで手を出すべきかがわかっているからできる。
人がいないところに手を出してもダメだし、相手に向かって握りこぶしを思いっきり突き出したら喧嘩になってしまう。
当たり前のことなのに、このことに意識的になれていなかった。
センテンス、何処に向かってどんな風にどんな音を鳴らし続けられるか。
ギターふたりの音楽を掘り下げたい。
今年はありがとうございました。
来年もどうぞよろしくお願いします。
センテンス
まさとし
【今後の予定】
1/17(火)ネガポジ(京都)
平日ノーチャージデイ
狸囃子/まるで自宅のように/センテンス/ミサト
OPEN 18:30 / START 19:30
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1/24(火)ネガポジ(京都)
「店々 Vol.7」ノーチャージ!
内田修人/松野泉/センテンス/雰囲気(三重)
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両方ネガポジです!
そして両方ノーチャージです!
24日の「店々 Vol.7」の方は内田修人さんの企画であり、内田さんが僕たちのライブを見に来てくださった時にお誘いいただいたものです。
とても楽しみです。内田さんとは音楽だけでなく、仕事や生活についてもお話させていただいていて、そのへんも興味深い人です。
ぜひお越しください!