以下の記事は、センテンスの2人が出版する本、『STAGE』のブログに掲載したものと同じものです。こちらにも掲載したいなと思ったので。
先日、難波ベアーズの黒瀬さんと「カレーが好きなんです」という話をしていて、大阪の谷町にあるアララギというお店を薦められた。
行ってきた。
老舗であるボタの新店舗とのこと。
基本メニューっぽいキーマカレーの大盛りを頼んだ。
常々思っていたことやけど、京都のカレーと大阪のカレーは大まかなテイストが違う。
そもそも僕はそれほど多くのカレーを食べているわけではないし、専門的な知識も全然ないので、偏った情報になるけども、それは許してください。
僕は現在京都がホームなので、京都のカレー屋さんの作るカレーが基本的にしっくりくる。
さらに、僕は大阪生まれでありながら、どうしても大阪の雰囲気がしんどくなってしまった人間なので、余計そう思う。
僕にとっての京都のカレーからは「無理しない」「現地の味に如何に近づけるかを追求している」「控えめで深みがある味」というキーワードが連想される。
一方で、大阪のカレーからは「個性」「色味の鮮やかさ」「誰もやっていないことをやりたい」「お得感」「後味が辛め」というキーワードが思いつく。
もちろんお店毎に違うし、僕の体調によっても違うと思うけど、大まかにこう言う印象があることは事実。
これって、音楽にも似たようなことが言える気がする。
僕がギターを弾くバンド、センテンスでは京都と大阪のライブハウスに同じような頻度で出演している。
そこで感じることは、京都のミュージシャンと京都のカレー、大阪のミュージシャンと大阪のカレーに似た質感を覚えるということ。
そもそも、カレーと音楽、特にパンクやロックには共通点が多いように感じる。
カレーにもいろんな種類があるけども、僕が好きなのは南インドカレーで、ミールスと呼ばれるようなやつ。
専門的なことはほんと知らないので、間違っている情報がいっぱいあると思うけど、すんません。
ミールスって、インドで言う定食みたいなものらしく、ごはんやカレー、おかずがドーンとプレートに乗っているような感じのやつ。
京都にある天才的美味さを誇る店、インド食堂タルカの壁には、ミールスの深さについて書かれている。
正確な記載は忘れてしまったのだけれど、とにかく「味や香り、色、食感の全てが含まれた芸術」であるというようなことが、まっすぐと書かれていて、感動したことを覚えている。
日本食には、お米とおかずを一緒に食べながら味を調整する「口内調味」という考えがあるけども、ミールスは実際にプレートの上(現地ではバナナの葉か?)で食材を混ぜながらそれを行う。
口内調味の場合は、経験上「これくらいのお米にこれくらいのへしこやったら塩味はこれくらいやな」とわかるので、かなり意図的に味をコントロールできる。
一方でミールスの場合、僕の経験が乏しいだけなのかもしれないが、数多くの食材を一斉に混ぜながらも混ざりきらないので、一口一口微妙に味や食感が違い続けることになる。味のコントロールが効かない感じ。
この辺の偶然性や混沌とした感じが、ロックと相性がいい気がする。
歪んだギターでダブルチョーキングした時の不協和音による揺らぎやフィードバックが奇跡的な美しさを鳴らすことがある。
それは多分、音楽(学)としては美しくないのだろうけども、一人の人間として美しさを感じてしまうことがある。
そういうところに心動かされた人間はロックが好きになるだろうし、カレー、特に南インドカレーのあの芳醇で複雑で意味不明(僕がスパイスのことをよくわかってないだけかもしれんけど)なスパーク具合にハマるだろうと思う。
そして、聴いたあとに耳にキーンと残る感じのロックは大阪に多い気がするし、食べたあとの舌にピリピリと唐辛子が残るカレーは大阪に多い気がする。
それもたまにはいいし、やっぱりガツーンとした刺激が欲しい時もある。
でも僕が京都に住んで音楽をして、京都のカレーが好きなのは、多分基本的にはそうではないものを身体が求めているんだと思う。
僕が好きなのは、聴いたあとに演者の生き方が残るような音楽であったり、食後にスパイスの静かで不思議な変化が何回も蘇るカレーだったりする。
大阪のアララギに行ったのに京都のことを褒めてしまったけど、アララギは美味しいカレー屋さんでした。
音楽イベントもたくさんされているようで、また行きたいなと思うお店でした。
ボタにも行ってみたい。
黒瀬さん、教えてくださってありがとうございました。