※以下のブログは『STAGE』のブログに掲載しているものと同じです。
先日、classicusの1stアルバム発売に伴うツアー「ツアー・イズ・ノット・ライク・ザット」に行った。
classicusはとても心惹かれるバンドで、このブログでも何度か触れている。
今日はこの日に感じたことを思い出しながら言葉にしてみたい。
弾き語りスタイルは久々だということだった。
一番印象に残っているのは、1・2曲目の「私の子宮は無駄になる」という歌詞だった。
(引用させていただきます。正確な言い回しが違っていたらすみません。)
僕は男なので子宮という言葉を実感を伴って使うことができないという意味でも、性的な意味でも興味が惹かれたのだと思う。
例えば僕が睾丸という言葉を歌詞にしたら、それを聞いた人はどのように感じるだろうか。
子宮という器官には性的な意味だけでなく、出産・生命の誕生というような、もう少し大きな意味も付与されるように思う。
そういう意味でも「私の子宮は無駄になる」という言葉には強力なものを感じた。
2番目の演者は谷口貴洋さん。
谷口さんのライブは何度か見たことがある。
見るたびに自由になっているような感じがする。
先日梅田HARDRAINに出て、増田壮太さん主演『わたしたちに許された特別な時間の終わり』を見て、感じたこと。「つきぬけてくる」と世界からのサプライズについて。というブログで、歌と伴奏について書いた。
谷口さんのギタープレイは彼の歌とまったくズレがないと感じる。
リズムとか音量のことではなくて、彼の歌とギターに彼の生き様が同じ純度で現れているという意味で。
谷口さんは声量やメロディーで遊んでいるように見えることが僕にはよくあって、それは彼が自分の歌をとても自由に操れるからなんじゃないかと思う。
それと同じような方法で、ギターについても自由に遊べるのだろうなと感じる。
曲のリズムはバシっと保ったままでストロークのパターンがコロコロと変わっていく部分があって、そこが印象的だった。
そういうのって、いい意味で遊んでいないと出てこないと思う。
そして遊ぶ、という言葉はclassicusにもつながっていく。
トリはclassicus。
何から言おうかな。
まず、見るたびにいいバンドになっていて、今まで見た中で一番いいclassicusだった。
この日、このバンドからは観客を柔らかく包む水のようなものを感じた。
昔、まじかるタルるートくんという漫画(アニメ)があって、主人公のタルるートくんが魔法で水を半固形に変える、という話があった。
水は地面の上にぷよんっと置かれる巨大な球体に変わり、触れると少し弾力があるけど中に入っていくことができて、普通に泳ぐことができる、という魔法。
その感じ。
classicusからこちらに向かって放たれた柔らかい水に包まれて、3人の遊びに混ぜてもらった数十分だった。
classicusの3人は、僕が知らない景色を共有していて、同じ場所でたくさんの時間をともに過ごしてきたのだな。
同じ時間と空間を過ごすという経験は、人と人とを遊ばせることと似ている。
人は目的やタスクを持たずにずっと一緒にいることは難しい。
自然と、目的やタスクは消えて、ただ遊ぶことそのものに変わっていく。
技術的なことは抜きにして、二人の息が合っているのは、多分一緒に遊んできたからだと思う。
同じくギターの靖史さんがギターソロを弾く後ろでリズムを刻むドラムボーカルの岡山健二さん。
健二さんのドラムの叩き方が僕は大好きで、決して流さず、格好をつけない。「とにかく一発一発をできるだけ確実に鳴らそうとする意思」を全身から感じて、僕は身体が震えてしまう。嘘のないドラム。
この日発見したのは、健二さんのドラムが一番爆発するのは、弟である靖史さんがギターソロを弾いているときだということ。
靖史さんを支えるでもせき立てるでもなく、隣で大暴れする感じ。
多分靖史さんもその爆音を左半身で聴きながら、もっと爆発したくなるのだろうし、その二人を優しく見守りながら自分のフレーズに集中する村上さんの表情をなんども見たな。
こういうことが3人の遊びなんだと思った。
グルーヴって遊びなのかもしれない。
例えば3人の小学生が歩いていて。
「3人が楽しげに話している」様子を作ろうとすると、セリフを決めて覚えてもらって練習したり、ちょっと言い回しを変えたりとか、いろいろなことをする。
本当に優れた役者さんはそういうことの中で本質を掴み取っていくのかもしれないが、下手な演技や演出をすればするほど、3人の小学生は楽しそうに見えなくなっていく。
そんなことよりも、この3人がただ同じ場所で同じ時間を過ごして、なんとなく生まれたギャグや近所で見かける変なおっさんのモノマネを3人同時にやってしまって爆笑するあの感じ、そこにグルーヴがある。
そういうことをclassicusはこの日、やっていると思った。
幸福な時間と空間。
3人にとっても、僕にとっても。
最後に。
このツアータイトルは「ツアー・イズ・ノット・ライク・ザット」という。
1stアルバムのタイトルが「classicus is not like that」であって、それを文字っている。
アルバムのタイトルを「classicus is not like that」(クラシクスはそのようなものではない)とするこの感覚が好きだ。
常に自分を捉えよう・定義しようとしてくる世界があって、それは嬉しいことでもあるけど、反逆したい感じがある。
アメーバみたいに、捉えられるけど、捉えた瞬間にスルッ、ヌルッと次の場所へ形を変えてゆく。
そういうものでありたい、というような気持ちが僕にはあって、そういうものを勝手にこのタイトルに感じている。
もしclassicusがそのような気持ちをアルバムタイトルに込めていたとしたら、自分を容易に定義させずに音楽活動をしていくというのはすごいことだと思う。意義深い。興味深い。応援したい。
classicus、谷口貴洋さん、坂口喜咲さん、いい日でした、ありがとうございました!
まさとし
P.S.
黒瀬さんに会われへんかったの残念やった~。
黒瀬さんとこの日のライブの感想話ししたかったー。