こんばんは。
まさとしです。
ここ数日のことを、書きます。
先日は、梅田HARDRAINに出演した。
センテンス以外の出演者はみなシンガーで、僕一人がシンガーではなくギタリストやった。
そういうことはままあるけど、この日は特にそれを感じた。
そして、それぞれのギタープレイについて興味が沸いた日やった。
歌や歌詞にはあえて触れずに、それについて書いてみようと思う。
書けるかな。
井ノ上伸也さん。
ピアノのようなギター。
弦楽器はジャーンと「かき鳴らす」という質感が音に伴うことが多いけど、井ノ上さんの音はもっと「はたく」というか、ポーンという感じやった。
瓶底いずこさん。
瓶底さんの音は細くて優しい。
アルペジオでもコードプレイでも単音フレーズでもないような、独特の音の残り方をする瞬間がいくつかあって、それが印象的やった。
岩井わいさん。
乾いて固めな音を、横移動を使いながら振り回すようなプレイ。
ベース音の移動と高音の重なりがよく考えられていた。
大津光央さん。
スタンダードに、ギターの音の良さをそのまま出す演奏やったように思う。
振り下ろした右手が背中に回ると曲の最後の一音が終わる、という瞬間が何度かあって、その光景が残っている。
僕は、ピックが弦に当たる度に、適切な音が鳴っているかを意識していた気がする。
最近、ピッキングが楽しい。
僕はギターが好きやけど、そのエネルギーはギターという楽器に詳しくなる方向にも、ギターをコレクションする方向にも、ギターを作る技術を身につける方向にも向かなかった。
僕はギターを弾くことが好きになった時と全然変わらず、今も「張り詰めた弦を弾き(はじき)たい!」というチック的な欲求の解消をしている。ギターを弾くことで。
この日、センテンスのまゆも含めて5人のシンガーを見て、伴奏というものを考えた。
伴奏は、映画で言う背景や時間の流れ、登場人物の関係性などの世界観と同じかなと思った。
子供の頃、ドラゴンボールの別ストーリーを妄想して楽しんだり、オヤジが運転する車の車窓を過ぎる町並みを駆け抜けるアクションゲームを想像上でプレイしたりしていた。
登場人物がいて、話したり殴り合ったりしていても、背景が真っ白で、時間の流れが不明で、その関係性について思わせる描写がなければ、僕はその映画を見ていられないと思う。
シンガーが言葉を歌にする。
その(もちろんいい意味でも)恐ろしい行動に寄り添う背景としての、伴奏。
それを身体的チックとともにやれるなんて、僕はなかなか幸福やなと思った。
*
太田信吾さんが監督した映画、『わたしたちに許された特別な時間の終わり』を見た。
1度目はちゃんと、2度目はまゆが見ている横で、声だけを聴いていた。
最初見たとき、僕は蔵人さんに感情移入した。
主演の増田さんが、僕がかつて出会った何人かの人に似ていて、
彼らが共通して持つ感じが苦手だったから。
彼らが共通して持つ感じが苦手だったから。
そして、そのそばで伴奏する蔵人さんに積極的な意味を感じないと、
自分が辛かったんやと思う。
自分が辛かったんやと思う。
2度目、声だけを聴いていたからか、増田さんの声や歌や言葉が抵抗なく響いてきた。
1度目に見たときとは違って、思ったよりも冷静で、思ったよりも静かで、
思ったより優しい人やと感じた。
思ったより優しい人やと感じた。
僕はこの映画の、フィクションとノンフィクションが入り混じっていたり、
時系列が前後したりする表現に完全についていけてないと思う。
時系列が前後したりする表現に完全についていけてないと思う。
それは、前述のライブでの瓶底いずこさんの歌詞が景色の断片を散り散りに描写しながら、曲が終わる頃には全部事足りている、と感じる感覚と似ていると思う。
(もうここでは歌詞に触れてもOKとしてください)
理解はできないが、味わうことはできる。
そういう感覚は、ほっとする。
この映画が伝えようとしていることや、増田さんや蔵人さんや太田さんの気持ちはわからんけど、この映画がこの人達にとって大切なものだということは味わえる。
間違いなく「つきぬけてくる」作品。
つきぬけてくるものを世界に提示するには。
怖いけれども怖がっていてはいけないんやと思う。
怖さをなくそうとしても多分無駄で、怖いことをひたすらやるしかない。
怖いということは自分がその時空間に居ることが完全に想像しきれないからやと思う。
それは、世界からのサプライズとも言える。
サプライズは、少なくともその一部を想像しきれなかったからサプライズ足り得る。
完全に予想できた出来事に驚きはないし、興奮も生じない。
僕は怖がりだが、怖がりやということは、世界からのサプライズをたくさんもらえるということでもある。
「つきぬけてくる」ものを僕に突きつけてくれる人は、多分みんなそれぞれに怖がりやと思う。
少なくとも怖いと思うことをやってる。
自分と世界が触れ合うちょうど境界面、透明の薄膜をプチっと破ったら一気に流れ込んでくる冷たい空気。
肌がヒリヒリとするその感覚は、さっきまで抱いていた怖さに取って代わる。
それは静けさになり、生きている実感になり、時に感謝になる。
静けさ、感謝。
それは崖っぷちギリギリの状態に生成されるものやったりする。
僕がセンテンスでステージに立つのもそれが好きなんやと思う。
もっと、ギターで僕のチックをさらけ出さないといけない。
さんざん先人が鳴らしてきた音を、今この時に自分がわざわざやろうとしてるんやから、恥部も暗部も含めて、自分をさらけ出さないと、本当になんの意味もない。
怖いのはさらけ出すことじゃなくて、もうさらけ出すことはできないんだと分かることやと思うから。