2016年12月3日土曜日

「ウタエバミヤコ!!」@梅田HARDRAIN w/加納良英/ヘアンナケンゴ/the hula hoops/Folking Poors(Japan)〜自分の判断基準を解体することと内田修人さんとのことについて。最後に立川談志の言葉。



ギターのまさとしです。

先日は梅田HARDRAINの「ウタエバミヤコ!!」に出演させていただきました。
出演直前にボーカルのmauに対しての僕の関わり方、ひいては自分の世界に対する関わり方について言い争うことがあり、出演が危ぶまれましたが、ギリギリに「もう最後のライブになるかもしれない」という気持ちで客席に座ったところで、加納さんの舞台が始まりました。



加納良英さん

加納さんはand young...よりもソロの時の方が縁が深い。
縁が深いといってもそれほど親しくさせてもらっているわけではない。
でも、僕の中で静かに深く心に残っている存在。

改めて、楽器はそれを弾く人を映しているなと思った。
ほっそりとしていて、気取らないけど綺麗なギターを、長い音楽歴にも関わらず新鮮な指使いで、加納さんは弾いていた。

ボブ・ディランとトランプのことを少し話したあと歌い始めた「新しい朝」という曲が特に良かった。僕は共感覚というものを持っているわけではないけど、なんとなく音楽に色を感じることがあって、この曲は白だった。
まだ歌詞が増えているらしい。

加納さんの舞台を見ながら、僕は「目の前で起こっていることをそのまま見ることは僕には難しい」と思った。

加納さんの歌とギターを聴きながら、いろんなことに対して瞬間瞬間にジャッジしている自分のことを思った。

自分が持っている判断基準が解体されていくことは、すごく怖い。
自分自身が解体されることと同じい気がして、もう一回一から生き直さないといけないのかという風に思う。

同時に、それができたらものすごく気持ちいいんじゃないかという予感もする。
そしてそういうことは、別に努力の先にあるんじゃなくて、この瞬間に目の前で起こっていることに飛び込んでいくことの先にあるんじゃないかと思う。

今こうして文章を書いているこの瞬間も、直前の言葉の羅列に対して、「良く思われたい」自分が出てくるから、この自分と殴り合いする感じ。

ともかく、加納さんの舞台によって、僕は僕と出会っていた気がする。


次がセンテンス。
最近描いた『線と点』用イラスト。
京都と大阪を、線と点を、メロディーとリズムを、言葉と身体を、育てる畑。

mauと短く言葉を交わし、新しい気持ちで舞台に上がった。
加納さんのおかげだなと思った。

僕はコードミスをちょくちょくしたけど、できるだけ今の自分でギターを弾こうと思った。


次はヘアンナケンゴさん。


曲と曲の間の短いMCが印象的だった。
「ありがとうございました」とか、そういう決まったパターンの言葉じゃなくて、その時思ったことをそのまま話すのが不思議だった。

次はthe hula hoops


映像と弾き語りのスタイル。
映像と音楽に関連性があるようでないようである気がした。

イタリア語の通訳のようなことをされているというMCを聞き、興味が出た。
僕は音楽だけじゃなくて、その人がどんな生活とどんな仕事をしているのか、そしてドン考えを持っているのかに惹かれるみたい。

僕が影響を受けた人の一人に橋本久仁彦さんがいるが、彼といろいろな場を共にしてきた中で残っている質感の一つとして、「自分の意図を超えたところにある大きな意図」みたいなものがある。

彼がある人の言葉を聞いている時に、あるワードが出た瞬間に外からトラックがバックするときの音声が聞こえてきた、という話があって、そのワードとトラックの「バックします、バックします」がなぜかリンクして心に残った、というようなこと。

例えばそれは偶然なんだけども、そのことでその瞬間の風景が人生において忘れられないものになったのなら、それはもう自分の意図を超えた意図による作品といえると思う。

そしてそれは上で言った、自分の判断基準を解体させて新しく生き直すことと似た怖さとすがすがしさを湛えていると僕には思える。

やっぱり、全てそれに委ねるには、僕はまだ若すぎると思う。若すぎると思いたい。若すぎると思うことにした。


話が逸れた。
the hula hoopsの音楽と映像がどういう意図を持って舞台の上で披露されているのか詳しくはわからないけど、美しいと感じる瞬間が何度もあった。

弾き語りをしている人間の舞台の主役は、必ずしもミュージシャンとは限らないのだな。



出演前にベースの塩崎さんが、センテンスが良かったとわざわざ言いに来てくれた。
とても嬉しかった。

改めて、ライブというのは舞台だけのものではないなと思った。


自給農にとっての畝と通路は、音楽をやる人間にとっての舞台と日常みたいなものだ。

畝だけに意味があるのではない。

空に向かって枝を伸ばしながら下に向かって根を張る作物にとって、畝の状態はものすごく重要。その畝は土の集合であって、その土は通路から作られる。

だから、自給農では通路に抜いた草を敷いたり鍬で空気を入れたりして、通路の土にいる微生物の活動を活発にさせる。

日常から舞台へは、地続きや。

通路から畝へ。
作物は実を付け、枯れて畝に還る。
畝は次の通路になり、また次の実りに備える。

音楽をやる人間も、舞台の上で飯を食って糞をして寝て起きるわけではない。

日常も舞台も音楽なのだな。

と書いた。

舞台と舞台の間に起こることも通路なんだと思う。
そこで起こったことが、次の畝となる。

Folking Poors(Japan)の音楽が何を大事にしていて、塩崎さんが僕たちの音楽に何を感じてくれたのか、そういうことを考えたり、そういうことを忘れてただメロディーに浸ったりしていた。


***


物販の様子。

この日は以前に対バンさせてもらうことがあり、不思議な縁を感じていた内田修人さんが見に来てくれていた。

嬉しかった。

舞台直前にmauと喧嘩して、自分の本質的な部分について向き合わざるを得なくなっていたこともあって、その瞬間に彼からの連絡があったことで、幾分か足腰を強く持てるようになっていたところがあったと思う。感謝です。

彼とは仕事の仕方や生活のこと、そして将来の生き方のことなどを話すことができた。
そして、これから音楽だけでなく、プライベートでもつながれるような流れが生まれた。

僕はやっぱり、音楽に加えて、その人の生き方・働き方について話すのが好きなのだ。

僕たちセンテンスが出版しているインディペンデント冊子、『STAGE 1号』も、会場で2冊売ることができた。センテンスライブ音源は売れなかったのに(笑)

この日は畑に行く時間が取れず、野菜は販売できなかったけど、音楽や絵や言葉や畑がぐるっとつながって、僕が生きている軌跡(奇跡でもあるけど)として残ればいいなと思う。


僕が今もこうしてギターを弾いてライブハウスに出て音楽がやれているのはボーカルであり妻であるmauのお陰です。ありがとう。


最後に、今日youtubeで見てグッときた、立川談志の言葉を。



落語とは人間の業の肯定である。



やっぱり、悟りとか解脱とかはクソくらえやと今の俺は思う。
業を自分のやり方で社会に向けて翻訳してやらないと、報われない。


まさとし


【今後の予定】

12/21(水)BEARS(大阪)
「暗闇浪漫。」
影野わかば/アナログエイジカルテット/センテンス/他 18:30/19:00 1800/2000

1/17(火)ネガポジ(京都)
「平日ノーチャージデイ」 狸囃子/まるで自宅のように/センテンス OPEN 18:30 / START 19:30 adv.free yen door.free yen

お取り置きはsentence.info✩gmail.com(✩を@に変えてください)までよろしくお願いします。