2016年9月30日金曜日

扇町para-diceでのライブを終えて w/bridgehead / 脳みそスムージー / apple / upper sixx

こんにちは、ギターのまさとしです。
ご無沙汰しています。
先ほど扇町para-diceでのライブを終え、帰宅しました。

久しぶりに思ったことなどを書いてみようと思います。


センテンスの出番は1番目。
力まず、しかしたるまずやるにはどうしたらいいか。
ここのところずっと考えてきたことと、今の自分たちになりに向き合えた気がする。

演奏中も、今までより景色がクリアに見える感じがあって、陶酔(しているかのようなふり)に逃げずにできるだけはっきりと意識を持って舞台に立てた。

先日ギターショップでクラフトマンの方にいろいろ聞いて、ギター本体のボリュームを5~7くらいに絞った状態をデフォルトにしてみたのが良かった気がする。

今まではギター本体のボリュームはフルにしないとギターが本気を出してくれない、という思い込みがあったんやけど、むしろ本体のボリュームを絞っても十分な音量になるようにアンプやエフェクターを調整しておき、いざという時に本体のボリュームを少し上げる位の方がむしろ音に余裕が生まれる感じがする。


今回の対バンのパフォーマンスを見ていて気づいたことはいろいろある。

そのうちのひとつは、センテンスがギター2本と歌だけのバンドだということ。
当たり前のことやのにそのことをしっかりと受け止めきれていなかった。

僕は別に共感覚を持っているわけではないと思うけど、ベースの音は黒、バスドラの音は茶色、シンバルの音は黄色、という感じのイメージがある。
ギターの音は青か赤なので、センテンスは青と赤しか使わずに絵を描いているようなものだ。

特別変わったエフェクターも演奏方法も使わないので、本当に限られた色数で自分たちのことを表さないといけない。

そのことを受け止めたら何も怖いことがないはずなのに、どうしてもベースのうねりやドラムのビート感を求めながらそれを得られないフラストレーションを感じていた。

油絵と水墨画、どちらが優れているかを争っても仕方がないのに。


今日のライブはそんなことを思った日だった。



さて。

先日二条nanoのモグラさんが、僕たち二人が発行しているインディペンデントな出版物『STAGE』を読んで、日本橋ヨヲコさんの漫画『G戦場ヘヴンズドア』を薦めてくれた。

その中にこんな言葉があった。

「かわいそうになあ。気づいちゃったんだよなあ、誰も生き急げなんて言ってくれないことに。」

すごい言葉やなぁと思った。

生き急ぐことと焦ることは違う。

焦って自分たちの純度を下げることはない。

ただ、「生き急ぐ」という、多くは良くない意味で使われる印象がある言葉、この言葉の裏側の意味・働きを、僕はこの漫画で知った。

僕はもっと堂々と、生き急ぐ時に来ていると思った。

僕は魂が震える音楽と出会いたいし、自分が誰かにとってそういう音楽でありたい。

『STAGE 1号』に繰り返しでてくる「つきぬけてくる」ものを、センテンスにおいても実現したい。